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事例紹介

文書作成を「地獄」と恐れて 警官パワハラ自殺から1年

2015年5月11日

2015年5月10日 朝日新聞の記事です。

http://www.asahi.com/articles/ASH4X11WDH4WUGTB01M.html

 

【引用はじめ】

福島県警捜査2課の警部(当時51)と警視(同52)が相次いで自殺した、衝撃的な事件から1年余りが過ぎた。県警は、警部が自殺した原因の一つを、警察庁から出向してきていた前捜査2課長(46)のパワハラとしていた。「捜査ができず、つらかったのでは」。そう話す警部の妻(52)ら関係者に改めて会い、思いを聞いた。

警部の妻によると、警部は会津若松市出身。県外の大学を卒業し、1985年4月、県警に入った。父親ががんを患ったため「地元へ戻って親をみてあげたい」という理由だった。

94年に須賀川署から県警本部捜査2課へ異動した時、警部が意気揚々と「頑張るぞ」と張り切っていたのを妻は覚えている。その後、警視庁捜査2課出向や福島北署での勤務を挟み、2010年に捜査2課の課長補佐(広域知能・金融犯罪特捜担当)になった。

04年には、オレオレ詐欺(なりすまし詐欺)事件関連の容疑者を県内で初めて逮捕するなど、刑事として23年間、多くの実績を残した。長男(15)には「オレオレ詐欺を福島で一番最初に捕まえたのはパパなんだぞ」と自慢していた。

東日本大震災では、南相馬市内の体育館で防護服を着て、津波で泥まみれの遺体を検視し続けた。「原爆が落ちたようにひどかった。小さな子の検視がつらい」と妻に打ち明けた。

警部は昨年1月ごろから、「眠れなかった」と訴えるようになった。布団を敷いていた木製の床に、真冬なのにしみができるほど寝汗がひどかった。

警部は自宅ではほとんど仕事の話はしなかった。ところが、同2月ごろ「課長が無理難題言って。そんなこと部下に言えないんだ」「書類書きで今日も一歩も外へ出なかった」と愚痴をこぼすようになった。

妻は同4月以降、帰宅した警部がうなだれ、どんどん落ち込んでいくのがわかった。毎日、晩酌に欠かさなかった缶ビールを飲まなくなった。それまで、すべて平らげていたおかずにも、あまり手をつけなくなり、欠かさなかった朝食も食べなくなった。

警部は同月27日午後11時ごろ帰宅。風呂から上がり、居間で余ったパンをかじった。「明日は朝早いから起きなくて良いよ」と妻に告げ、うなだれたまま階段を上っていった。それが、妻が聞いた夫の最後の言葉だった。妻が翌朝午前5時半に目覚めた時、警部はもう隣にいなかった。

警部の遺書には「疲れた」「毎日眠れない」「書類の訂正で、思うように仕事ができなかった」「もう限界」などの内容が記され、2課の同僚に対し「申し訳ない」と謝っていた。

警部が自殺した日、妻は前捜査2課長と初めて会い、一対一で会話した。まだ前課長のパワハラを疑っていなかった。前課長は「私はご主人をかばうために一生懸命やってきた」「書類の訂正を何回もした」と言い、謝罪はなかったという。妻は「すごく違和感があった」と話す。

前課長は懲戒処分を受けた後の昨年6月の月命日に警部の自宅を訪れ、「申し訳ありませんでした」と繰り返したという。だが同8月以降、代理人の弁護士を通じて体調が悪くなったとし、連絡が取れなくなったという。妻は「前課長の気持ちを一切聞けなくなった。誠意を持って謝ってほしい」と願っている。

今年2月、県警幹部から「(前課長のパワハラについて、幹部は)一切わからなかった」と説明され、「組織にも問題がある」と感じた。今年1月、公務災害の適用を申請した。

「亡くなってから主人の偉大さがわかった。根っから仕事が好きだった。捜査一筋だったので、文書の書き直しをさせられ、捜査ができなかったのが一番つらかったのでは」と思いやった。そして、「もう一度来世で会っても主人と結婚したいな、と思います」と語った。(小島泰生)

■自殺前日も出勤、頭抱える姿

前捜査2課長から厳しく叱責(しっせき)された報告文書の作成業務を、警部は「地獄」「恐怖症」などと恐れ、それを苦にして自殺に追い込まれた経緯が、関係者への取材でわかった。

関係者によると、警部は前課長に、県警内で「ワンペーパー」と呼んでいた文書を決裁してもらう際、「こんな書類もできねえのかよ。能力がねえんだよ、勉強しろ」「こんなの日本語じゃねえだろう」などと、年下の前課長にたびたびののしられていた。求められた修正に数日かかる場合もあり、警部は同僚に「ワンペ恐怖症」「ワンペ地獄」とこぼしていた。

自殺する前日は日曜日だったが出勤し、週明けの報告に頭を抱えている警部の様子が、同僚に目撃されていたという。

警部は、その翌日の早朝、福島市の県警山下庁舎へ出勤。3階の捜査2課分室の自席で午前5時前にパソコンを起動させて遺書をしたためて印刷し、ペンで書き加え、机の上に置いた。

その後、警部は廊下に置かれていたぶらさがり健康器を、同じ階にある取調室に運んだ。上端にビニール製のひもをかけ、午前6時ごろに首をつったという。床には脱いだ靴が並べて置かれていた。

福島県警捜査2課員2人の自殺〉 2014年4月28日朝、県警捜査2課の警部(当時51)が福島市の県警山下庁舎で首をつって自殺しているのが見つかった。2日後、上司の警視(同52)が山形市内で遺体で見つかった。警視の遺書に警部の名前と「寄り添えなくて申し訳ありませんでした」などと書かれていた。

県警は同年6月、警部の自殺は長時間勤務や仕事の悩みに加え、前捜査2課長(46)が警部をののしったり、文書をしつこく書き直させたりしたパワハラが原因だった、と発表。前課長を戒告の懲戒処分にし、更迭した。

【引用終わり】